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ストーリー

「過去の私が、未来の私のために作成したレンズ」挑戦を続ける乾レンズのものづくりと鯖江への想い

日本における眼鏡レンズ発祥の地である大阪市生野区田島。全盛期には約200社ものレンズ製造会社が存在し、「レンズの街」として栄えていたが、眼鏡レンズがガラスからプラスチック製へと急速に移行する時代の波に乗ることができなかった多くの会社が廃業を余儀なくされ、現在も営業を続ける会社は数少なくなっている。そのうちの1社が、1953年に創業した株式会社乾レンズである。同社は、サングラスレンズを主とする独自性を生かし、1971年には眼鏡の世界的産地として知られる福井県鯖江市に支店を設立。現在は、国内外の有名ファッションブランドが手がけるサングラスレンズのOEMに加え、特許技術を持つ「ハイドレンズ」を使用した自社製品「オールタイムサングラス」をはじめとするオリジナル製品の販売にも注力するなど、眼鏡業界での存在感を高めている。「サングラスを通じて皆さんの大切な眼を守る企業」をスローガンに掲げる同社の取組、製品への想いについて同社の常務である諸井晴彦氏に話を伺った。

OEMに依存しないメーカーを目指し、オリジナル製品を開発

同社の本社・工場は創業地である大阪市生野区に現存するが、バイヤーへのOEMレンズの企画・提案・加工、自社製品の企画・開発から納品といった役割を担っているのは鯖江支店である。その鯖江支店の責任者であり製品開発のキーマンとして会社を牽引しているのが諸井氏である。もともと、自動車メーカーの営業職だった諸井氏が、義父が社長を務める同社に入社したのは30歳のときだったという。
「義父から入社の打診を受けたことはありましたけれど、当時の乾レンズは明るい未来の見えない零細企業でした。そんな会社に入るメリットはないと思っていました。ただ、自動車メーカーからの出向社員として全国のディーラーをめぐる営業職でしたから、このままでは心が擦り切れてしまうと感じたのです。大きな組織の小さな歯車として働く人生と、零細企業で大きな歯車になるか。どっちが面白いだろうかと考えた結果、入社を決意しました。ところが想像以上にたいへんな現実が待っていました。」

諸井氏曰く、自動車業界はメーカーの力が強いのに対して、眼鏡業界はメーカーの力が弱い。ましてや、OEMを業務のメインとする会社は一般知名度もなく、外的要因で経営を左右されてしまう弱い立場。そんな自動車メーカー社員時代とのギャップが諸井氏の反骨精神に火をつけたのである。
「2008年のリーマンショックでは、当たり前のようにオーダーが激減しました。そのときに、乾レンズはメーカーと名乗りながら、注文が無いと何も生産販売ができないOEMメーカーに過ぎないことを痛感したのです。生き残った大阪のレンズ会社のうちの1社に残れたのは社長の経営手腕によるものだったと思います。しかし、このままでは会社の未来はない。リーマンショックのような外的要因に振り回されるような足元の弱いOEM企業では、これからの時代を乗り切れないと思い、『乾レンズと言えば』と言われるような製品を作る必要性を強く感じました。もうひとつ事業の柱を作らなければいけないと感じ、自社オリジナル製品の開発に取組みました。」

その結果、誕生したのが、透明でありながら紫外線やブルーライトをカットできる特許製品「ハイドレンズ」であり、このレンズを用いた初の自社ブランド「オールタイムサングラス」だった。しかし、「オールタイムサングラス」誕生の背景には、経営的な目的だけではなく、諸井氏自身の体験が大きく関係していたのである。

「人の目を守るレンズ」誕生の背景

欧米ではサングラスが日常の必需品として利用されているのに対して、日本でのサングラスの位置付けはファッションアイテムのひとつという認識が定着している。しかし、来るべき超高齢社会に向けて、紫外線が原因と考えられる「白内障」や「黄斑変性症」などの目の疾患が健康面やアンチエイジングで注目されるはず。そう考えた諸井氏は2003年から新たなレンズの開発に着手。研究を重ね2004年に誕生したのが、クリアなレンズながら紫外線を99.9%カットしブルーライトにも対応することで、眩しいと感じやすい光を優しい光に変える効果を有する「ハイドレンズ」である。
「弊社はOEMメーカーのため、自社製品を自分たちで売る仕組みがありませんでした。しかも当時は、眼鏡業界でさえ紫外線に関する知識がまだ乏しく、私が開発したレンズに対する反応も全くない状況が続きました。」

その状況に追い討ちをかけるように、諸井氏が病魔に襲われてしまう。2006年、当時39歳の諸井氏は「海面状血管腫」という脳の病気を発症してしまったのである。幸いにも大きな後遺症は残らず、手術から半年後には業務に戻ることができたが、左目が光に敏感になってしまったため裸眼での生活が困難になってしまったという。しかし、外回り営業を担当する人間が、遮光性のある濃い色のサングラスをかけて活動するわけにはいかない。病気という事情を知らない人には、信用できない人物と思われかねない。そんな状況を救ったのが、自ら開発した「ハイドレンズ」だった。
「衝撃でした。ハイドレンズを使ったサングラスをかけていると、とても楽なのです。透明に近い色調で目元が見えながら眩しさを抑制するハイドレンズは、まさに過去の私が、未来の私のために作成したレンズだったのです。私のように眩しさに憂いているかたがいるはず。サングラスは医療機器ではありませんが、レンズメーカーとして困っている人に手を差し伸べようと。同時に、紫外線から目を守る重要性を考えたとき、私たちの仕事は“なくてはならない仕事“であると認識することができたのです。」

レンズメーカーとしての使命に目覚めた諸井氏は、一般の眼鏡小売店に取扱ってもらうため度付きレンズも開発。小売店向けに何度もハイドレンズの性能や効能を説明し、店舗スタッフが顧客に説明できるよう資料も作成したが、紫外線による目への影響に対する考慮や予防に注力する意識が希薄な小売店には、諸井氏の想い、ハイドレンズの有用性は伝わらなかった。
「業界内では歴史もあり知名度が高くても、一般消費者に知られていないサングラス専門メーカーが作るものを誰も信用してくれません。それでも諦めることなく、いろんな場所に足を運んで説明する日々が続きましたが、ビジネスはほとんど頓挫した状態でした。ただ、努力は必ず花が咲くと思っているんです。頑張ったものは絶対に花が咲きます。花が咲かない努力なんてひとつもないと私は信じているんです。」

発売以来、10万人以上に利用されている「オールタイムサングラス」誕生の背景

転機が訪れたのは、2008年12月のことだった。同年のリーマンショックによる大打撃を受けていた中、全く交流のない東京の通販ベンダーが、大手化粧品会社の通販カタログ用商品として従来商品とは異なるサングラスを販売するべく同社の「ハイドレンズ」に着目し、製品開発を依頼してきたのだ。
「紫外線が強くなる5月発売の予定で、『目の美しさを意識させるサングラス』『紫外線カットはもちろんのこと、画期的な新しい技術が必要』というコンセプトの元、サングラスを販売する企画が立ち上がり、福井県眼鏡協会を通じて弊社に打診があったのです。その当時、リーマンショックによる深刻な経営不振に陥っていたこともあり、外的要因に振り回されない事業を立ち上げる必要性に迫られていました。ただ、フレームのことをよく知らないレンズ屋の弊社が、自社製品を開発するのはたいへんなことでした。クライアントが要望する、女性に受けるデザインフレームや商品名・キャッチコピーの制作をはじめ、法律的なことや通販業の商習慣など知らないことばかりでした。それでもチャレンジしてみたい案件だったのです。実際、こんなにたいへんだとは思いませんでしたが。」

こうして苦難の末に誕生した「オールタイムサングラス」は、発売開始2週間で約2,000本を完売。その後、大手通販ベンダーが自社企画のサングラスのレンズに「ハイドレンズ」を採用したところ、1時間で約8,000本の売上を記録したという。ファッション性だけではなく、紫外線から目を守る必要性が多くの消費者に理解されたのだ。
以降、多くのメディアや企業の通販でも取扱されるようになり、「オールタイムサングラス」は10万人以上に利用される製品となった。その貢献が認められ、発売から10年目を迎えた節目の年に「2019年度グッドデザイン賞」を受賞。現在では、「オールタイムサングラス」に加え、「老眼と気づかれないお洒落なルーペが欲しい」という消費者の声から誕生した「贈りものルーペ」などの自社ブランド製品を発売するに至ったのである。

現在、「オールタイムサングラス」は多くの人に利用される製品に成長したが、一般の眼鏡小売店での販売は行われていない。売上だけを考えるならば、全国の小売店で取扱ってもらうに越したことはないが、そうしないのは諸井氏の信念によるものだ。
「通常、製品は、いろいろな過程を経て最終的にお客さまの元に届くものですが、仲介業者が多いとメーカーの想いがほとんど伝わらないことがわかりました。中高年のかただけではなく若いかたも含めて、目の健康の重要さ、『オールタイムサングラス』について正しく伝えることはできないと思っています。そこで販売先を限定しているのです。」

観光資源としての顔も持つ自社店舗「レンズとカフェ Lens Park」

同社では新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけとした事業再構築に向けた挑戦のひとつとして、2023年4月に「目を守る」をテーマに掲げた複合施設「レンズとカフェ Lens Park(レンズパーク)」を鯖江市内に開業。この施設は諸井氏が考える「自分で作って自分で売る」を実現する場でもある。約250平方メートルの店舗の1階には鯖江市内のメーカーの協力による眼鏡フレームのショップ、常時300色を揃えたサングラス用レンズが並ぶギャラリー、カフェカウンターに加え、検眼室を併設。吹き抜け構造となった2階には来店者がリラックスして過ごせるようテーブル席や多目的スペース、テラスなどが配置されている。
「鯖江市は“めがねの聖地“なんです。この街に来れば、眼鏡に関するすべての問題が解決すると考えて、全国からお客さまがいらっしゃるわけです。お客さまの生活シーンを考えながら、最適な答えを導き出すからこそ聖地になっているんです。ところが、市内には眼鏡に関連する観光施設が『めがねミュージアム』しかない状況でした。実際、県外からの観光客からは『めがねの聖地にもかかわらず、めがねミュージアムしか行く所がない』という声も多くあったことから、Lens Parkの開業を決意しました。また、Lens Parkが完成したことで、私が思い描いていた『自分で作って自分で売る』を実現することができています。店内での検眼は、私自身がレンズ提案を含めて約1時間かけて丁寧に行い、目を守ることの大切さを伝えています。」

北陸新幹線の敦賀延伸をきっかけに、「Lens Park」は観光資源として福井県と鯖江市が共同で補助金や広報面などの支援を行っているという。その効果もあり年々利用者は増加、その約7割が県外からの来店者となっていることからも、鯖江市の新たな観光資源としての期待がさらに高まっていると言えるだろう。
「創業から72年を迎える乾レンズは、時代と共に変化していかなければと考えています。従来のOEMビジネスと寄り添える新しいマーケットを自分たちでつくっていかなくてはなりません。そのひとつが「Lens Park」であり、この店舗が完成したことで自分たちの販路を獲得できたと考えています。また、この場所を通じて、サングラスがファッションアイテムのひとつという定義から、目を守るために必要不可欠なアイテムであることを、多くのかたにお伝えしていく。それが私の願いでもあります。」

すでに日本は超高齢化社会に突入し、多くの人が目の疾患を抱えている状況にある。そんな人たちの生活の質を向上させるアイテムとして、「オールタイムサングラス」の需要はさらに高まっていくのではないだろうか。「私たちは、サングラスを通じて皆さんの大切な眼を守る企業です」をスローガンに掲げる乾レンズ、それを具現化する「オールタイムサングラス」の今後に注目したい。