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ストーリー
青森県弘前市を中心とする津軽地方の代表的な漆器「津軽塗」。経済産業省の「伝統的工芸品」として指定されている漆器においては日本最北端となるこの地で伝統が紡がれている。江戸時代より300年以上の歴史をもつ「津軽塗」の特徴は、堅牢で実用性に富んでいることに加え優美な外見をもっている点にあり、国の重要無形文化財にも指定。他の伝統工芸品と同様、職人の後継者不足などから廃業する会社が増える中、商品企画から製造・販売までを自社で担い、多彩な商品群や独自性の高い商品が注目を集める株式会社たなか銘産(屋号「津軽塗たなか」として事業展開)。創業以来の精神、「ライフスタイルの変化に合わせた商品づくり」を貫く同社の代表取締役である田中寿紀氏に、画期的な新商品誕生の背景、津軽塗への想いについてうかがった。
「時代に合わせて変化していくことこそ伝統」を理念に約300年続く津軽塗を未来につなぐ
株式会社たなか銘産は、1947(昭和22)年に弘前市にて創業。すでに80年近い歴史をもつが、創業者が津軽塗を始めてからは100数十年の歴史を有している。現在、4代目として同社の代表取締役を務めている田中氏が、大学院を卒業後、東京の外資系IT企業でエンジニアとして勤務した後、29歳のときに家業の承継を決意したという。
「生まれたときから津軽塗は身近な存在としてありましたし、職人たちの働く背中を見ながら育ちました。ただ、家業を継ぐかどうかは、ずっと自分の中の選択肢のひとつとしてありましたが、それほど高い優先順位ではなかったのです。先代社長である父からも、直接的に家業を継いでほしいと言われたこともありませんでした。もし継ぐのだとすれば、キャリア形成を考えると30歳前後に戻らなくては難しいな、ぐらいに考えていたのです。そんなとき、東日本大震災が発生しました。幸いにも弘前市はそれほど大きな被害を受けませんでしたが、自分が生まれ育った東北が甚大な被害を受けたことで、いろいろな想いがよぎりました。それがきっかけとなって家業を継ぐ決意のもと、弘前市に戻ってきました。」

こうして田中氏は前社長である父親のもとで社内業務全般に携わりながら経験を積みつつ、IT分野の経験を生かして自社のホームページを自ら作成するなど、少しずつ社内に新しい風を吹き込んでいった。そして、2018年11月、代表取締役に就任して以降は、自身のアイデアをもとにメインの商材であるお箸に加え、iPhoneケースや文房具など多彩な商品ラインアップを増やしていったのである。
「なぜ取扱商品が多岐にわたるのか。その理由には、『時代に合わせて変化していくことこそ伝統』とする、創業以来つづく弊社のものづくりへの精神があります。弊社ではその精神に則って時代に合わせた商品開発を行い、ラインアップを増やしてきました。この創業以来の精神を支えているのが他ならぬ「津軽塗」にあるのです。「津軽塗」は、『研ぎ出し変わり塗り』という特殊な技法で作られます。この技法は、粘度をもたせた漆で凹凸をつけ(仕掛け)、そこに別の色の漆を塗り重ね、乾いたところで研いでいく。この工程を数十回繰り返すことで複雑で美しい模様と堅牢さを生み出します。非常に手間がかかることから別名『馬鹿塗』とも呼ばれています。一方で、この技法は古来よりデザインの自由度が極めて高いため、アート性に富んだアレンジに幅広い応用が利くのです。なので、弊社ではこの古典的な技法をバックボーンに積極的な新商品開発を進めています。」

また、田中氏は商品を安定的に供給することにも強い信念をもつ。
「私は、製造に手間ひまのかかる工芸品を、クオリティを落とさずなおかつ安定的に、ある意味では量産品として世の中に出し続けていくこと自体に、産地の存続や伝統承継につながる社会的な意義があると考えており、産業工芸としての存続のためにも、今後も商品の安定供給にしっかりと取り組みたいと考えています。」
津軽塗の知られざる魅力をカタチにした新商品「さわるツガルヌリ」
2020年12月、たなか銘産では津軽塗の魅力、その可能性を広げるべく「さわって楽しむ」をコンセプトにした新商品「さわるツガルヌリ」を発売。一見、津軽塗とは思えないカジュアルなデザインのガラス製品だが、そこには津軽塗の要素がしっかり盛り込まれているという。
「津軽塗は、漆で凹凸をつけて塗り重ねては研いでを繰り返し、仕上げは表面が滑らかになるのが基本です。ただ、私が子どもの頃に工程途中の手触りを面白いと感じた記憶がおぼろげにあって。最初に付けた凹凸の手触りは、職人が作業した手の加減であるし、同じものは二度とできません。この手触りを感じてもらうことで津軽塗の面白さが伝わるのではないかと思ったのです。しかも、従来よりも少ない工程で作ることができるため購入しやすい価格帯で提供できるので、若いかたに津軽塗を知ってもらう、その入口になるような商品を目指して開発しました。」

2020年といえば、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、緊急事態宣言が発出されたことで企業や商店が思うように事業を展開できない時期だった。自社工場・自社店舗をもつ同社も事情は同じだったが、この状況が新商品の開発につながったという。
「コロナ前は、高齢の職人が退職したこともあり、既存商品の生産だけで工場がフル稼働しているような状態でした。ところが、コロナ禍となり商品の減産、従業員の時短勤務などに対応せざるを得なくなり、この状況が長く続けば、離脱する職人が出てくることも考えられました。弊社の財産は職人やスタッフだと思っていますし、すぐに欠員補充できるような職業でもありません。そのため、社員の雇用を維持するためには工場を動かし続ける必要があったのです。そこで、このタイミングであれば試作をする時間が取れると考え、私の頭の中にあったいくつかの新商品の試作を実施しました。そのひとつが『さわるツガルヌリ』です。後から『ピンチがチャンスになるんだ。』といえるようにと行動をした結果、これまでにない津軽塗の商品を発売することができました。」

また、この「さわるツガルヌリ」が納得のいく完成に近づいたことをきっかけに、田中氏は知的財産を守るための取組も進めた。
「伝統工芸品業界であっても、売れ始めるとやはり類似品は出てしまうのです。それを抑止しなければ、本来入るべき会社の売上が流出してしまいます。しかし、それ以上に私が懸念したのは、私を含め職人のクリエイティビティに対するモチベーションの低下でした。職人の地位向上を目指す意味合いにおいても知的財産を守らなければいけない。そこで、青森県知的財産支援センター(以下、同センター)に相談に伺いました。結果として「さわるツガルヌリ」は商標登録に至ったのですが、同センターとのつながりをきっかけにあらたな商品も生まれました。それが『ゆいぬり』です。」
「ゆいぬり」は、同センターが実施した、青森県令和2年度広域連携による知財ビギナー支援事業を経て誕生した新商品である。「さわるツガルヌリ」は、お土産感覚でリーズナブルに購入できる商品というコンセプトで開発されたが、「ゆいぬり」はよりデザイン的な付加価値を加えることでギフトとして展開できる商品を目指したのだという。なお、商品化の過程では東京のデザイン会社とディレクション会社のサポートを受けている。
「今後、会社の稼ぎ頭となるような商品にしたいと思っていますので、発売以来、ブランディングやプロモーションを継続中です。商品単体で販売するだけでなく、地元のお酒などとコラボレーションして、『ゆいぬり』のタンブラーやぐい呑みをパッケージにして発売できないかなど、いろいろ模索しているところです。そういう可能性も含めて、まだまだ成長途中にある商品だと感じています。」

実用品かつアートとしての可能性をもつ新開発商品「透ける津軽塗」
創業当時から「日常使いとしての工芸品を作る」をコンセプトに量産品(産業工芸品)としての「津軽塗」製造を行ってきた同社が、あらたに光を透過する独自の漆表現を編み出し、アート性の高い商品として開発したのが「透ける津軽塗」。透過性をもつ漆素材「透漆(すきうるし)」を、津軽塗の技法である研ぎ出し変わり塗に応用した画期的な商品である。
「この商品の構想が頭に浮かび、最初に試作を行ったのが10年前になります。最初の凹凸をつける漆に、透明度のある透漆を用いることで、その部分が光を通すだろうという発想でした。ただ、本格的に研究開発するには、ひとつのサンプル品を試作するにも3、4ヶ月かかってしまうため、既存商品の製造に支障をきたすことからあまり進められずにいたのです。ところが、コロナ禍になって工場に余裕ができたことで再度研究開発を進めて完成しました。このような漆で光を表現する技術や商品はほとんど例がありませんので、現在特許を出願中です。漆の表現としてまったく新しい挑戦となりますので、日本の技術力であったり、津軽塗のアートの可能性として発信していきたいと考えています。」

この「透ける津軽塗」のランプシェードは同社の自社店舗にて展示販売され、夜になるとライトアップされた同商品を見て店頭で足を止める若い世代も多く、これを見るために訪れるかたなど、これまでの購買層とは異なる来店者も増加中とのこと。また、今後の商品化の選択肢として、試験的に卓上と壁面用のデザインパネルを製作するなどのプロモーションを展開中だが、すでに「透ける津軽塗」の可能性に関心を持ったさまざまな業界から問い合わせが寄せられているのだとか。

魅力的な商品を作り続けることで津軽塗の未来を守りたい
職人の高齢化、新規担い手の獲得と定着化。これは津軽塗業界だけではなく、全国の伝統工芸品産業に共通する大きな課題である。職人が存在しなくなれば、数百年続く日本の伝統工芸技術も消失してしまうのだ。
「とても大きな課題ではありますが、私はそこまでネガティブに考えてはいないんです。私自身、津軽塗の仕事に従事して10数年経ちますが、この仕事をとても面白いと感じています。津軽塗には約350年の歴史がありますが、この仕事に従事してきた人たちが面白いと感じ、新しいことに取組んで次世代にバトンを渡してきた。その繰り返しで今があると思うんです。もちろん、職人の収入や働き方の改善は時代に沿った形で改善していかなければなりませんし、クリエイターとしての地位向上を図らなければなりません。それに加えて、この仕事の面白さをどう伝えるかが私の直近の課題だと感じています。先人たちが面白い世界をつなげてきたから今がある。それが伝統工芸の世界だと思うのです。そう考えると、面白いことを続けることが、弊社の未来とイコールなのかなと。その時々でチャレンジしている内容は違うと思いますが、そのモチベーションの灯を絶やしてはいけない。それを具現化したのが、『さわるツガルヌリ』や『ゆいぬり』、『透ける津軽塗』といった新商品なのです。」

どんなに素晴らしい技術や商品も、人の目に触れなければ素晴らしさは伝わらない。また、商品を通じて、その技術に興味関心をもつ人もいるだろう。株式会社たなか銘産(津軽塗たなか)の商品を通じて津軽塗の存在を知り、職人の世界に憧れを抱く人が現れることに期待したい。それが津軽塗を未来へとつなげることになるのだから。
