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ストーリー
温泉王国と称される群馬県の南西部に位置する安中市。この地にある磯部温泉は、明治から大正期の児童文学者・巌谷小波(いわやさざなみ)により、童話「舌切雀」伝説発祥の地とされている他、3本の湯煙が立ち昇る「温泉マーク」発祥の地でもある。この温泉地で、140年以上の歴史を有する老舗旅館を営むのが株式会社磯部ガーデンである。現在、「舌切雀のお宿 ホテル磯部ガーデン」の運営の他、姉妹館の「雀のお宿 磯部館」、「ホテル桜や」、レストラン「西洋亭」も含め、ユニークなアイデアと類稀な行動力で磯部温泉の活性化に向けて奮闘している同社の代表取締役・櫻井太作氏に、自社事業と地域創生に向けた取組への想いをうかがった。
「舌切雀」の物語をコンセプトにテーマ性のある旅館づくりを展開
大正時代、児童文学の生みの親と称される巌谷小波は、日本各地に残る舌切雀伝説を調べていくなかで、そのひとつである磯部温泉を訪れた。この土地に残された舌切雀絵巻や縁の品々、人々の話を聞いたことで、磯部温泉が舌切雀伝説発祥の地であると考えた巌谷小波は、舌切雀の昔話を書き上げた。これにより磯部温泉は「舌切雀」伝説発祥の地といわれるようになったのである。磯部温泉を訪れた巌谷小波が宿泊した宿が、「舌切雀のお宿 ホテル磯部ガーデン」の前身である「磯部館別館」であり、その際に詠んだ句「竹の春 雀千代ふる お宿かな」の句碑が同館に残されている。そのような縁から、櫻井社長の祖父である初代社長が宿の名称に「舌切雀のお宿」をつけたという。
現在の「舌切雀のお宿 ホテル磯部ガーデン」は、「お宿」から連想されるこぢんまりとした旅館ではなく、他の温泉地と比較してもかなり規模の大きい旅館となっている。総客室数は115室あり、2種類の大浴場や夏季限定の屋外プール、会議や研修などに対応するコンベンションホールも併設。施設内には、舌切雀の物語をロボットと映像のショーで上映する「サイボットシアター」、舌切雀伝説縁の品々を展示する「宝物殿」があり、敷地内には「舌切雀神社」が祀られているなど、随所に「舌切雀伝説」をモチーフにした演出が施されている。

「祖父の代に『舌切雀』をコンセプトにテーマ性をもった旅館とする経営方針が決まり、早逝した父親に代わって母親が二代目となってからは、女性的な感覚で食器やお鍋に雀の形を取込んだり、浴衣に雀の絵柄を取入れたりするなど、雀のお宿のイメージを定着させていきました。私の代になってからは現代風の要素を盛り込んで話題性も高めなければいけないと考え、『サイボットシアター』を作ったり、舌切雀の物語に登場する『おちゅん』という雀をマスコットキャラクター化したりするなど、あらたな客層の開拓を始めました。この取組が功を奏し、週末には『おちゅん』会いたさに未就学幼児を連れたファミリー層のお客さまにも来ていただけるようになりました。もちろん、まだメインの客層とはいえませんが、リピーターも増えていますので、他の温泉地との差別化につながっているのではないかと考えています。」


自社事業の運営のみならず、地域の観光PRに孤軍奮闘
三代目である櫻井社長が高校1年生の時に、二代目である父親が早逝したことで母親が社長として旅館業を切り盛りしていたという。毎日忙しく働く母親の姿を見ていた櫻井社長は「母を楽にさせてあげたい。」という想いから、高校卒業後に家業を継ぐ覚悟を決めていた。ところが母親から進学を勧められ、なおかつ家業の経営も好調だったことから大学へ進学。理工学部で建築を学び、卒業後は設計事務所に就職。2年目には建設会社で現場監督を経験した後、ホテル勤務の経験を積もうと兵庫県の温泉ホテルへの転職を決めた。ところが、そのタイミングで阪神淡路大震災が発生、就職は白紙になってしまったという。別の修行先を探したものの見つからなかったため、ホテルの専門学校に入学。そこで2ヶ月間の旅館研修を体験し、卒業後に故郷の磯部温泉に戻ってきた。

「25歳の時でした。まずは営業の仕事をしながら地元の温泉組合や商工会の青年部などのグループに参加して人脈を作ったり、この街の実情を知ることに費やしました。その後、常務として家業に携わり、35歳の時に姉妹館『雀のお宿 磯部館』の前身である『磯部館』の社長に就任しました。36歳で『雀のお宿 磯部館』と『ホテル桜や』の運営を担う株式会社安中サービスの社長になり、母親の退職に伴い『舌切雀のお宿 ホテル磯部ガーデン』の社長も兼務するようになりました。」

3軒の宿とレストランの運営。それだけでも多忙な日々を過ごしていることは想像に難くないが、櫻井社長の活動は社長業だけに留まらない。「自分でできることは全部やる」を信条に、マスコットキャラクター「おちゅん」関連グッズや、磯部煎餅のキャラクター「いそせんくん」、「温泉マーク」グッズの開発、誘客用チラシの制作などを自ら手がけているという。
「本当は誰かに任せたいんですよ(笑)。でも誰かに任せてしまって、最初の開発段階で方向性にブレが出ると失敗するケースが多い。物事を芯で捉えないとうまくいかないことを経験上知っているので、自分でやってしまうわけです。他の人気温泉地との差別化を図り、磯部温泉をアピールするには『おちゅん』も『温泉マーク』も絶対に失敗できない。そのためには自分でやるしかない。最初は『おちゅん』グッズも、街おこしのために考えた『温泉マーク』グッズも周りから大反対を受けたんですよ。『そんなことやってもダメだよ』と。ところが、たまたま新聞やテレビ番組に取上げられて人気が出ると周りの評価が変わり、みんなが私の話を聞いて協力してくれるようになりました。今では、幼い子どもたちから『おちゅん』宛の手紙が届くくらいの人気になっています。」

現在、毎年2月22日「温泉マークの日」に近い週末に開催され、多くの人を集めるようになった「温泉マーク発祥祭り」も櫻井社長の企画によるもの。2026年で9回目を迎えるが、第1回目の開催時はイベント内容の企画やポスター制作、広報活動などを櫻井社長がほぼひとりで担当したという。櫻井社長の人並外れたバイタリティとユニークなアイデアでイベントを成功に導いた結果、今では温泉組合の他、大学生も自ら手を挙げて協力してくれるようなイベントへと成長している。櫻井社長の想いと行動力が、地域の人々の心を動かしたのである。

地域の人々が、磯部温泉を誇れるその日まで活動を継続し続ける覚悟がある
現在、国を挙げて日本の「温泉文化」のユネスコ無形文化遺産登録を目指しているなか、櫻井社長は観光庁や県が行う観光振興事業の公募に参加し、その補助金を活用してさまざまな活動を実施してきた。例えば、LEDで温泉マークが光る暖簾を製作して夜の商店街をイルミネーションで灯したり、JR東日本高崎支社に「SL謎解きラリー」の企画を持ちかけ、ポスターのデザインから謎解きの問題の作成まで櫻井社長が自ら担当して実現させてきた。また、「温泉マーク」が街のシンボルとなるよう、Tシャツやアロハシャツ、レストランで提供するカレーライスやソフトクリームなど、さまざまな「温泉マーク」グッズを開発し続けている。そんな数々の活動が評価され、2025年4月、櫻井社長は安中市長から「磯部温泉活性化プロジェクト」の委員長に任命された。

「コロナ禍以前、磯部温泉には8軒のホテルがありましたが、今は6軒に減っています。そのうちの3軒は私が経営していますが、他の3軒は後継者問題に直面している状況です。私が小学生の頃までは賑やかな街でしたが、どんどん過疎化が進んでしまい、街中に空き店舗も増えてしまいました。旅館はなんとか頑張って黒字経営を続けていますが、街をどうにかしなければいけない。観光面に力を入れなければ街の衰退を止められない。そこで、安中市と共に一所懸命いろいろな企画を考え、動き始めているところです。」
2025年に発足したばかりの磯部温泉活性化プロジェクトでは、まず空き店舗対策に取組むという。そのひとつが、「温泉マーク発祥祭り」期間中、空き店舗を活用した湯豆腐店のオープン。祭り終了後はポップアップストアのように毎週末異なる店舗として活用することも検討中だという。あくまで第一歩に過ぎないが、少しずつプロジェクトが動き出している。

「予算の関係もありますから、一気に大きなことはできません。まずは成功例を作り出し、そこからまた考えていく段階だと思っています。とにかく、今以上に磯部温泉街自体がさびしい状況にならないようにがんばるしかないですね。ただ、うれしいのは街の人たちが『温泉マーク』に愛着をもち始めてくれていることです。小学校の運動会では係の人が『温泉マーク』がプリントされたTシャツを着てくれていたり、消防団の人たちも『温泉マーク』を使ってくれたりするようになったのです。私が『温泉マーク発祥の地』をPRし始めた当初は、全然響かなかったのですが、その取組が新聞やテレビ番組で紹介されて認知度が高まったことで、磯部の人々が自分たちの街を少しは誇れるようになったのかなと思うのです。それは本当にうれしいことです。まだまだ続けなければなりませんけどね(笑)。」
櫻井社長の身を削るように磯部温泉のために活動するモチベーションは、自身が生まれ育った磯部温泉への愛そのものである。その熱き想いが地域の人々を動かし、磯部温泉らしさを存分に活かした新しい温泉地のスタイルを確立することに期待したい。

